About Onjouji
身延山久遠寺 第二十七世 通心院日境(つうしんいんにっきょう)上人という方が、寛永10年(1633年)5月に伊豆巡教(地方を巡り歩いて人々を教え導く)の時、「此の処は、久遠実成の本師釈迦牟尼如来のおわします拠也。至心に合掌し、信心を励み候わば、必ず大幸あるべし」と願われ、境川のほとりに一宇の法華堂を建てられました。これが、大幸山遠成寺(だいこうざん おんじょうじ)」の創りであります。
History
身延山久遠寺 第二十七世 通心院日境上人(つうしんいんにっきょう)が建てられた法華堂も寺運の隆昌にともない手狭となったので、文化7年には相応の規模に再建されました。 安政元年11月、安政の大地震によって、倒壊寸前の甚大な被害を受けることとなります。寺檀一致団結し修復につとめた結果、簡素な建物でしたが、ようやく旧に復することができました。
余儀なく過した40数年の歳月は、寺運の衰退をまねき、伽藍の荒廃をもたらしたのでありました。
師命を受けて兼務住職となった、第35世 貞松院日祐上人(前住職)は、寺を建て直すべく、皆無であった遠成寺先師の歴代譜 即ち過去帳を撰し、檀家名簿を確定し、誤記欠落の有る過去帳を書き改めると共に、家毎に分別した過去帳を新たに加え、散逸して不備となっている文書を補充整備する等々の作業に数年を費やしました。
寺の再建は、寺檀一致、異体同心でなければ成し遂げられない大事業であります。
ついに意を決し、寺の存亡をかけて檀徒を督励し、ここに遠成寺の復興を決意せしめられました。四十数戸の檀家をもってしては、再建の容易でないことを思い翌年3月、身延山久遠寺に登詣し「遠成寺再建の大願 吾が身にかえて成就させ給え」と祈念。自坊の将来を法縁に托し、同年4月には改めて遠成寺住職として入寺されました。
建設委員・総代の諸氏と共に再建に精進すること1年有半、檀信徒各位の異体同心の丹精と、近隣の人々や有縁の人々の惜しみないご支援を得て、昭和59年10月21日、霊峰富士を背に、面目を一新した遠成寺伽藍が再建されました。
この法城は、信仰の道場として、み佛の大慈悲に抱かれつゝ先祖の安住する拠として、大切に、共に護持していかなければなりません。檀信徒各位の一層の丹精を希みます。
Priest career
昭和50年 | 出生 |
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昭和56年 | 千葉清澄寺にて得度・出家 |
平成5年 | 日蓮宗総本山久遠寺にて3ヶ年の修行 |
平成8年 | 赤坂 圓通寺随身 |
平成12年 | 信行道場終了「日蓮宗僧侶の資格を得る」 声明師養成講習所終了 |
平成13年 | 九識霊断法相伝講習会終了「日蓮宗霊断師任命」 九識霊断法一級昇級相伝講習会終了 伊豆国日蓮宗青年会 役員 |
平成15年 | 日蓮宗大荒行堂第初行成満「日蓮宗修法師任命」 日蓮宗静岡県東部宗務所 宗務担当役員 |
平成17年 | 三島市青年佛教会 副会長 |
平成18年 | 師子吼会発足「有志僧侶による読誦唱題修行の会」 日蓮宗霊断師会 総務局員 |
平成19年 | 日蓮宗静岡県東部宗務所 参事 |
平成20年 | 日蓮宗大荒行堂第再行成満 |
平成26年 | 遠成寺住職となる「遠成寺第36世の法燈を継承」 |
平成29年 | 三島市立徳倉小学校PTA会長 |
平成30年 | 日蓮宗静岡県東部宗務所 協議員 |
令和元年 | 三島市佛教会 理事 |
令和2年 | 一般社団法人CONNECT設立 |
Managerial position
Access and Contact
住所 | TEL | FAX |
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〒411-0031 静岡県三島市幸原町2-7-45 遠成寺 |
055-987-8243 | 055-987-2889 |
伊豆縦貫自動車道「長泉IC」下車 →「伊豆島田口」交差点より約5分
東名高速道路「沼津IC」 新東名高速道路「長泉沼津IC」
伊豆縦貫自動車道「長泉IC」下車「伊豆島田口」交差点 右折
1. 伊豆縦貫自動車道「三島萩IC」下車 「伊豆島田口」交差点 左折
2. 県道21号線いちょう並木(日本大学前・三島税務署の通り)
いちょう並木を出たら旧道(左)新道(右)の二股を旧道(左)方面へ 約400m先右手
「裾野駅 / 富士山新五合目 / イエティ / ぐりんぱ / 十里木 / 御宿 / 下和田 / 須山 / 富士ビレッジ / 芙蓉台 / 伊豆佐野 / 見晴台 / 御殿場プレミアムアウトレット」各方面行き